1章 省農薬ミカン園の概要 2.省農薬栽培法と慣行法

 本項では省農薬園の概略と、そこで行なわれた省農薬栽培法と慣行的に広く採用されている農薬依存型の栽培方法の違いを明示する。慣行栽培法については、和歌山県海草郡下津町の大多数のミカン栽培農家が1980~1991年に慣行的に採用していたと思われる、「平均的」なミカン栽培管理方法(以下「慣行法」)を、防除暦と聞き込み調査にもとづいてまとめたものである。

 

 

(1)省農薬園の概略と省農薬栽培法

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 省農薬法によるミカン栽培の野外実験・調査は、和歌山県海草郡下津町大窪にある仲田芳樹氏所有の園(北緯で、1973年から1991年にかけて行なった。

 省農薬園は1973年に開墾され、この年にミカン Citrus unshiu MARC.の興津早生の苗木(3年生)505株が新植された。その後、以下に述べる方法(省農薬法、表1-1)によって栽培・管理されてきた。90%以上の株が順調に成育し(5章参照)、1983年以降現在(1994年)に至るまで、果実の商業的な生産が続いている。省農薬園は西向きの傾斜地(勾配270‰)で、東側はアカマツ、コナラ、ヤマザクラなどから成る二次林、西側は、省農薬園とほぼ同様の方法(やや薬剤散布量が多い)で管理される同規模のミカン園を挟んで、慣行ミカン園と接している。

 省農薬園は、開園以来、表1-1に示す方法によって、仲田芳樹氏により管理されてきた。以下に述べる病害虫防除と雑草対策以外の、施肥、剪定、摘果、収穫などの管理は、調査地周辺のミカン園で慣行的に行なわれている方法(後述する慣行法)と大差がない。ミカン樹が、途中で何らかの原因によって枯れた場合は、同じ場所に苗木を随時補植した。

 本園で発生する病害虫は多いが、そのうちでもヤノネカイガラムシは何らかの防除を行なわないと爆発的に増殖してミカンを枯らしてしまうので[1-6]、1978年以降1985年に至る期間は、Inoue & Ohgushiの方法にしたがい、マシン油乳剤を年1度冬期に散布することによってヤノネカイガラムシの増殖を抑えた(3章参照)。マシン油乳剤は、化学的な作用でなく、油膜をヤノネカイガラムシの体表に作ることによって物理的にその呼吸を阻害し、生存・増殖を抑えるはたらきがある[1-7]。また、マシン油乳剤は冬期に散布するため天敵などに与える影響は少なく、また毒性がきわめて低いため他のカイガラムシの増殖に大きな影響を及ぼさないと考えられている。1986年以降は、導入天敵を放飼するため、このマシン油散布も停止した。

 1987年にヤノネカイガラムシの導入天敵2種、ヤノネキイロコバチとヤノネツヤコバチを調査地に放飼した(表1-1)。放飼個体は長崎県農業試験場の大久保宣雄氏を通じて得た。3章に示すように、2種は調査地に定着してヤノネカイガラムシの密度を低下させたため、放飼以後、ヤノネカイガラムシ防除のためのマシン油散布は不要となった。

 1988年の5月にはミカンの果実の品位を低下させる糸状菌病の1種であるそうか病の発生頻度を抑えるためにチオファネートメチル(Thiophanate-metyl、商品名「トップジンM」)水和剤を散布した。この殺菌剤は昆虫に対する毒性がそれほど強くなく、散布時期もカイガラムシの活動期の前であったので、カイガラムシ群集にあたえる影響はきわめて小さいと考えられる。

 以上のように、省農薬園開園以来1991年まで、病害虫防除のための農薬は、マシン油とチオファネートメチル水和剤以外一切使用しなかった。

 除草剤は、慣行法における使用頻度の半分以下に抑えた。とくに1986-1991年にかけては使用を極力抑え、ミカンの株間がイネ科を中心とする草本に覆われるようにした(4章参照)。

 

(2)省農薬園周辺における平均的なミカン栽培(慣行法)

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 省農薬法の対照とするために、和歌山県海草郡下津町下の大多数のミカン栽培家が採用している慣行的栽培・管理方法の標準的なものを、防除暦や農家の聞き込み調査の結果にもとづいて策定した。前項で述べたように、省農薬法は、農薬使用以外の部分では、慣行的な方法を採用しているため、省農薬法と慣行法の違いは、主に、薬剤使用の面に限られる。

 まず、下津町農業協同組合が1985, 1987, 1991年に組合員に配布したミカン用の防除暦を参考にして、1980年頃から1991年にかけての期間(省農薬園で調査が行なわれた期間にあたる)における標準的な年間の薬剤散布スケジュールを予備的に策定した。発行年度の異なる防除暦の間に内容の大きな違いはなく、年度による例外的な変化は標準薬剤散布スケジュールからは除外した。この予備的に策定した標準薬剤散布スケジュールと実際の薬剤散布の状況との差を、聞き込み調査によって確認した。聞き込み調査は、1991年から1993年にかけて、和歌山県海草郡下津町大窪在住のミカン栽培者7人(省農薬園を管理してきた仲田芳樹氏を含む)に対して行なった。仲田芳樹氏は、省農薬園の他に、慣行的な方法で管理しているミカン園を約0.5ha経営しており、それらの園に対して行なわれた作業の一部が仲田氏の手によって記録されていたのでそれらを参考にした。

 それぞれの栽培者の回答では、省農薬園での調査が始まった1980年頃から1991年の期間では、薬剤の散布回数、使用薬剤に大きな変化はなかった。また、栽培者間で、使用する薬剤の種類、散布時期、散布回数などは少しずつ異なっているが、7人のうち5人以上が「ほとんどの年は散布しない」、もしくは「(対象病害虫が)大発生したときだけ散布する」と答えた項目などを削除して総合すれば、聞き込みを行なった栽培者の多くに共通する基本的な薬剤散布スケジュールを策定することができた(表1-2)。農業協同組合や改良技術所の普及員による指導はかなりいきわたっており、また、ほとんどの場合、薬剤の購入は農業協同組合を通じて行なわれることからも、ここに示した薬剤散布スケジュールは、下津町においては、一般的なミカン栽培者が採用しているものを代表していると考えられる。この表1-2のスケジュールについて、再び、調査に協力してもらった栽培者の一部に意見をもとめたところ、ここで示す薬剤散布スケジュールは、調査地周辺の一般的なミカン栽培における最小限の農薬使用を示すものであろうとの意見を得た。この表1-2に示した、薬剤散布スケジュールを以下では標準慣行法と呼び、前に示した省農薬法と比較する際の対照とする(表1-3)。上に述べたように、標準慣行法は、各農家で共通する程度が高く、通常時(病害虫の大発生のない時期)に使用されている薬剤散布項目のみを取り入れているので、実際の慣行的栽培で使用される平均散布薬剤より、やや過少推定となっている。