8章 省農薬園の評価とその可能性 3.省農薬栽培の可能性

 12年間にわたる省農薬園で発生した諸問題を、病害虫雑草の発生動態と経営的側面およびその他の要因について解析した。本園が20年間にわたって農家の生計を支える程度に存続しえた背景には、園が農薬裁判を契機に開設されたので、出荷当初から購買者がある程度確保されていたという特殊な側面がある。しかし、本格的に生産量が得られる段階になって以降は、裁判の終結のためにその特殊条件が消失した。それゆえ、本園経営の成否の鍵は農業技術としての省農薬栽培法と経営の問題にしぼられる。

 

 農薬による病害虫雑草防除を前提としない農業では、これらの発生に伴う被害をいかなる手法で回避するかが最大の問題点である。本園では害虫に対しては、導入および自然発生した天敵によって被害発生を許容水準以下に抑えることに成功した(3章、5章)。また、有効な天敵が存在しない害虫(ゴマダラカミキリ)に対しては慣行園と同様に「見回り駆除法」で対処してきた(4章)。ただし、枯死木の発生を防止することは困難であった。そして、害虫に対しては生物的防除を主体にした本園の管理法で十分に対処できるとの結論をえた。可能な限り農薬を省いた園には生物相が豊富に共存し、それが有効に作用したと推論される。病気の発生防除に関しては有効な手段を見つけだせなかったが(6章)、殺菌剤の散布を極力ひかえたことは化学物質に対する抵抗性の弱い天敵の生存を可能にしたと思われる。

 

 本調査期間内では病気と雑草に関しては省農薬栽培上での問題点を指摘するにとどまらざるをえなかったが、栽植密度の抜本的改変を含む今後の栽培管理方法の方向性を示すことができた。

 

 次に省農薬園の成否の分岐点となる問題は、収穫量と品質・品位の問題である(6章)。品位は、省農薬栽培の影響をうけてそうか病の病斑が多く、慣行園のものと比較すると明らかに劣っているが、品質(糖度および酸度)は低くない。しかし、土壌の劣悪な部分では土壌の化学性・物理性を反映して品質の低下が認められ、今後の園管理の課題が指摘された。収穫量は慣行園の反収に対して約35%の減収となり、農家経営を圧迫している可能性がある。その減収分を農薬費と農薬散布労賃との合計と比較することによって実質的な減収があるか否かを検討することもできるが、日常的に実施する耕種的防除(枯れ枝の切断、ゴマダラカミキリの侵入口の発見)に費やす労賃を正確に記録していない。というより、正確に記録すること自体不可能に近い。省農薬による栽培に固有な労働との比較から、農家収入を省農薬栽培法との関係で論ずることは本稿では困難であった。しかし、農薬散布の労賃および農薬代が不要であることも加味すれば、35%の収量減による農家の減収分すべてが、省農薬農法を行う農家にとって負担になるものではないと考える。20年間にわたって農家の生計を維持してきたこと、収穫したミカンを完売してきたことなどから省農薬栽培が十分に実践可能で、成立しうる農法であると考える。

 

 農薬多投農業に対置する農法として、「無農薬」「減農薬」「低農薬」農法など、種々のことばで表現されている。いずれの農法も農薬のもつ人と環境に対する危険性を回避するための営為を表現したものであり、それぞれが対立するものではない。農薬多投農業が主流を占めるようになった理由はさまざまであり、それらの理由が複合して現在のような農薬問題を惹起したのであるから、現在採用されている農法から農薬だけを排除して農業が成り立たないのは容易に理解できる。化学肥料のみで肥培管理されている農地の土壌が作物の生育にとって良好な土壌でないことは多くの研究が指摘してきたところである。そのような農地での栽培から農薬だけを排除すれば、病害虫に容易に侵害され、生業としては成り立たない。土壌の改良と農薬排除は同時に進行すべき作業である。本調査園においても、土壌の物理化学性と病害虫発生および収量などを重回帰分析した結果、土壌の良否、とくに物理性の不良な部分では病害虫の発生による枯死や収量低下の傾向が確認されている。健全な作物の育成には良好な土壌が基本であることが証明され、とりわけ省農薬農業の成否を左右するものであるとの結論を得た。

 

 流通機構およびその影響下にある消費者が品位のみで選択する消費行動を維持した状態で、農薬による防除を排除した作物が購買されるわけがなく、流通消費行動の変革もまた同時に取り組まれるべき課題である。農薬は省くべき存在であるが、その省き方は、それぞれの農業が置かれている状況によって異なるのでから、求めるべきは省く方向であって、省く度合いではない。それが、農薬多投農業からの脱出を可能にする方途である。

 

 本園は農薬を省く方向で、その使用回数を減じる初期の段階から、天敵導入による害虫防除法、土づくりなどの栽培方法を模索してきた。本園のような調査研究が各農法で遂行されることが期待され、そのような研究成果のもとで、わが国のミカン栽培が少なくとも農薬を多投しない農業へと変貌することが可能である。

 

 本研究は和歌山県海草郡下津町という自然環境の中でのケース・スタディーである。したがって、他地域に直ちに適用できうるものとは考えていない。適用にあたってはその地域での新たな試行錯誤が必要である。農業とはそれぞれの地域特性をもった自然に向き合う営為である以上、一律的手法で成り立つものではない。しかし、戦後のわが国の農政は全国の農業を一律的な手法で成立させようとした。その農政の欠陥が農薬問題の根底にある。それゆえ、ここで一律的な農薬排除の農法を提起することは同じ間違いを農業現場に持ち込むことになるのではないかと考える。それゆえ、本研究は農薬問題、さらには農業問題を解決するための一例にすぎないとあえて強調する。

 

 農薬による環境汚染の問題は世界的に強い関心をもって語られてはいるが、農薬を減じた農業が農法として確立していくまでにはまだ相当の年月が必要である。この問題への実践的研究と社会教育、市場流通再編、農業重視政策の実行などが重層的に展開されなければならない。本研究はその一端として位置づけられると確信している。