たべもの文化 ~取材レポート~

by 藤岡 和佳(京都大学理学部)

 

 大津市在住の野草研究家、野草料理研究家の松江靖子さんに、昔からの食生活について取材してきました。松江さんは、植物学者の父から学んだ植物に関する知識と、万葉集研究科の母から受け継いだ日本の文化的センスを融合させて、「お皿に絵を描くように」と、様々な野菜や野草を使って数々の美しい料理を考案されています。また、旬の野菜や野草を使った料理講習会を開いて、市民に食材の性質や料理に関する知識を教えていらっしゃいます。

 私はこの取材を通して、改めて食生活や食文化を振り返ってみることの大切さを感じました。

 現在野菜と呼んでいるのは栽培野菜のことで、スーパーや八百屋で普通に売られているものです。しかしもともとは山菜が山で食べられる草を指すように、野菜は野で食べられる草を指していたそうです。36年前に大津へ越して来られた頃、食用にタンポポを摘んでいたら近所の人に「変なものを食べる」と言われ有名になってしまったそうです。野菜料理は今でこそ一種のグルメブームに乗っかって、少々ぜいたくな料理という印象すら与えますが、昔の人々はごくあたりまえに野の野菜を利用してきました。野草は特定の季節の特定の時期にしか採れません。だから昔の人々は野草に合わせて料理を作ったそうです。食べ物にも四季が感じられたことでしょう。昔から「旬は十日の間」と言って、旬の食材の本当においしい時期を逃さないように人々は注意を払ったそうです。タケノコなんかは1日でも逃すと育ちすぎて堅くなりますよね。また「料理は二旬の間」と言って、「旬の料理」とは旬の時期から二十日以内に作ったものしか呼ばないそうです。ここからも旬へのこだわりが感じられます。昔の人々はそのようにしっかり旬を意識し、大切にしたようです。スーパーに行けばいつでも手に入る現代の野菜たちの旬を見分けられますか。青いまま出荷するトマトの旬はいつなのでしょうか。

 昔の人々の食べ物にあらわれる季節的行事に「七草粥」があります。これはご存じのように一月七日に一年の健康を願って春の七草と呼ばれるセリ・ナズナ・ゴギョウ(ハハコグサ)・ハコベラ(ハコベ)・ホトケノザ・スズナ(カブ)・スズシロ(ダイコン)を粥に入れて食べる行事です。昔の人々は野へこれらを自分で採りにいくのも行事のうちだったようですが、現代では「七草粥セット」としてパック入りがスーパーに並んでいます。松江さんは家庭料理の大切さについて講習会でよく話されるそうです。近くに七草がなくても「種」にこだわらず「数」にこだわらずその場所で手に入るものを使えばよいとおっしゃっています。清少納言の時代にはミミナグサも使っていました。最近ならヨメナやフタナズナなども使えばよいと。大切なのは自分で摘んで心を込めて作ることなのです。それからこれは料理講習会をしていて気付かれたそうですが食べ物を扱う姿にこわいほどその人の生き様が現れるそうです。収穫のしかたや料理の作り方、「いただきます」「ごちそうさま」という挨拶の一つ一つ、そして食べ方にもその人の生き方が反映しているそうです。松江さんが「食は文化を開く」とおっしゃいましたが「食」は人生の鏡であり現代社会の鏡であるとも言えそうです。

 また農薬を考える私たちに興味深いのは昔の人々の知恵です。例えば、万葉時代にはネムの葉を煮出して泡を立て洗剤として使っていたとか、エゴノキの果汁を川へ流してそれを吸った魚が下流で浮いて来るのを採るとか、タバコの吸殻を水に溶いて撒くとアブラムシや蛇よけになるとか、イチョウの香を本に挟むと衣魚(しみ)を防げるとか・・・・。有毒植物の有効性を見直すこともおもしろいとおっしゃっていました。

 私たちは文明による便利さを追求するあまり、文化をないがしろにしてきたのではないでしょうか。明治36年6月発行の料理の本をみせていただきました。松江さんは今でもこの本しか参考にされないそうです。しかし驚いたことに今私たちの食卓にのぼるおかずと何ら変わりありません。90年以上前に今の献立もキャベツやトマト(赤ナス)などを使った西洋料理は入ってきていたのです。しかしこれらの料理が食卓にのぼるのはごくごく一部の家庭のみだったそうです。その代わりに人々は自分の手で旬の野菜を採って臨機応変に食材の一番おいしいときにおいしくいただく知恵を生んだのかも知れません。現代はお金を出せばいつでも好きなものを食べることができるようになりましたが、万葉集で歌われるような季節感などたくさんのものを失ってしまったのかも知れません。