ミカン山の省農薬栽培について

 

倉田尚子(京都大学農学部農林生物学科四回生)

小林由佳(京都大学農学部農学研究科博士課程)

 

1.省農薬栽培とは

 

 省農薬栽培とはできる限り農薬を使わないで作物を作る栽培法をいいます。減農薬、低農薬など似たような言葉はいくつかありその区別ははっきりしませんが、これらに共通するのは現在の農業では農薬を使いすぎているとの認識から生まれてきたものだということです。これからこの稿では、普通のミカン園ではどんな農薬をどのくらい使っているのか、農薬を使うことによりどんな影響があるのか、農薬を使う以外に作物を病害虫から守る方法はあるのかについてみていきましょう。

  

2.一般のミカン園での農薬使用状況

 

 農家が農薬を散布する場合には、多くは各農協が作る作物別の防除暦に従って行っています。防除暦とは、都道府県ごとに農業試験場の専門家や行政担当者が作る「防除基準」に載った農薬の中から農協の営農指導員や県の農業改良普及員が選択しその地域に合うように散布時期などを決めて例示したものです。防除暦に従ったにも関わらず病害虫が発生して作物に大きな被害が出たとなれば大変なことです。虫や病気のついた見た目の悪い作物には買い手がつかず、農家の経営は大打撃をうけます。万一にもそんなことがあっては困りますから、防除暦の作成者は予防的な農薬散布(実際にその年に出るかどうか分からない病害虫にも念のため農薬をまいておく)を勧めるようになり、結果的には農薬の散布量は増大していくことになります。防除暦を作って各農家が一斉にそれに従うというようなやり方には農薬を減らしていこうという考え方は含まれ得ないのです。

 

 さて、仲田さんの省農薬ミカン園がある和歌山県下津町のJAしもつでも防除暦を出しています。次ページの表1はその中のミカンに関する項からとってきた農薬について調べたものです。ミカン農家はこれに沿って一年に、殺菌剤、殺虫剤を合わせて6~10回、除草剤を2回程度散布するそうです。対する仲田さんの省農薬園では年にあわせて1~2回程度です。農薬は使い易さや安全性、保存性などを考慮して主成分と補助成分を混ぜ合わせいろいろな剤型にして市販されています。水和剤とは、水に溶けにくい主成分に増量剤や界面活性剤、粘土鉱物粉などを加えたもので、散布時に水に溶かし懸濁液として使用します。乳剤は界面活性剤で乳化させた主成分を有機溶媒で薄めたもので、散布時に水で薄めて使います。液剤は水溶性の製剤で、散布時に水で希釈すると水溶液になります。粉剤、粒剤は、主成分と補助成分を混ぜ合わせて粉状あるいは粒状にしたもので、そのまま撒くことができます。

 

表1 みかんに使用される農薬

 

農薬名 主成分   急性毒性 魚毒性
オルトラン水和剤 アセフェート 殺虫剤 指定なし A
マシン油乳剤   殺虫剤 指定なし A
スプラサイド乳剤 DMTP 殺虫剤 劇物 B
ニッソラン水和剤 ヘキソチアゾクス 殺虫剤 指定なし B
パノコン乳剤 フェノチオカルブ 殺虫剤 指定なし C
オマイト水和剤 BPPS 殺虫剤 指定なし C
エムダイファー水和剤 マンネブ 殺菌剤 指定なし B
ジマンダイセン水和剤 マンゼブ 殺菌剤 指定なし B
ラビライト水和剤 チオファネートメチル・マンネブ 殺菌剤 指定なし B
トップジンM水和剤 チオファネートメチル 殺菌剤 指定なし A
ベンレート水和剤 ベノミル 殺菌剤 指定なし B
石灰硫黄合剤 多硫化態石灰 殺菌剤 指定なし A
プリグロックスL ジクワット・パラコート 除草剤 毒物 A
ラウンドアップ液剤 グリホサート 除草剤 指定なし A
バスタ液剤 グルホシネート 除草剤 指定なし A
カソロン粒剤 DBN 除草剤 指定なし A
ゲザパックス乳剤 アメトリン 除草剤 指定なし A
ハイバーX ブロマシル 除草剤 指定なし A
ゾーバー DCMU・ターバシル 除草剤 指定なし B

 

 生物の正常な生命現象を阻害し、マイナス効果を与える有害な性質を毒性といいますが、摂取後すぐに出る急性毒性の他に、ガンのように何年か後に発現するもの、遺伝的に子孫へ影響を与えるものなど様々なものがあります。ここでは、急性毒性による分類と、水の汚染状態を知る手がかりとなる魚毒性についてとりあげました。急性毒性は「毒物及び劇物取締法」に基づき、特定毒物、毒物、劇物、普通物の4つに分けられます(表2、図1)。

普通物とは、急性毒性が低いということであって、他の毒性がないというわけではないのでここでは『農薬毒性の辞典』(植村振作 他 三省堂)にならい指定なしと表記しました。この区分はLD50を参考にして決められています。LD50とは、半数致死量を表し、経口LD50とは、被験動物に製剤を一度に強制的に飲ませ、少なくとも14日間観察し生死を確認したとき半数が死亡する量のことです。経皮の場合は、体表面の10パーセント以上の毛を剃り、製剤を24時間皮膚と接触させて決定します。毒物に対する感受性は被験動物の種類(実際は、ラットとマウスが使われている)や雌雄によって異なり、またそのまま人に当てはめて考えられるものではなくその評価は単純にはできません。魚毒性の試験はまず、製剤を水に溶かしたものの中でコイを飼育し、48時間以内にその半数が死亡する濃度を決めます。他に、ミジンコ類を用い、3時間以内の半数致死濃度を決めます。その結果と使用状況を考慮してA類からD類に分けます(表3)。

 

農薬の水系汚染による水生生物への影響は、このような急性毒性からだけでなく、生物濃縮による体内への蓄積、奇形、繁殖など、長期的な視点からの評価も必要だと思います。

 

3.農薬の影響

 

 農薬は病害虫に対して絶大な効果を持ち、安定した収量と労働力の軽減をもたらしました。しかし一方でターゲットとする生物以外の生物や土壌、水などへさまざまな影響があることがいわれています。

 

①使う人への影響

 

 実際に農薬をまく農家は常に中毒の危険にさらされています。農薬散布時の中毒の報告数をグラフにしてみました(図2)。

 

急性毒性による分類のグラフと比較してみると、1970年代前半の毒性の高いものの割合が減ったのと同じような時期に中毒の報告数も減少しています。けれどデータとしては表に出にくいような、比較的軽度だが慢性的で年をとってからきいてくる中毒は今なお多く、ここでのの報告は氷山の一角であると思われます。きちんと散布時の注意を守り、気を付けていたとしても、細かい霧のように立ちのぼる農薬から完全に体を守ることは難しいし、どんなことにも事故は起こりうるのだから、自分の身を守るためにはできるだけ農薬に触る機会を減らすことが必要だと思います。

 

②作る人への影響

 

 農薬を作る工場で働いている人々の健康についての問題もあります。農薬工場で働く人は出稼ぎの人が多いため労働組合などの組織ができにくく、工場内での労働条件の実体はあまり知られていません。しかし、大量の化学薬品を扱う工場で働くこのような人達の間には中毒に苦しめられる方も多いと聞きます。

 

③食べる人への影響

 

 近年、消費者は見た目がきれいで、形の整った作物を求めてきました。しかしその傾向は農薬多投型の農業に一層拍車をかけ、その結果、美しいけれど農薬の残留している食品を手にすることになりました。作物にはどのくらい農薬が残留するのか、人は生涯にどの程度までなら農薬を摂取しても大丈夫なのか、この2点を考慮して、厚生省が「残留基準」を出しています。作物への残留については農薬別に使用時期、使用量の異なる農作物について試験が行われており、後者の問題についてはADI(一日摂取許容量)で評価されています。ADIとは、実験動物に生涯その薬剤を与え続けても影響のない最大無作用量を導き、そのまま人に当てはめるのは危険なのでそれに1/10~1/500を乗じてから一日あたりの量を計算したものです。この基準は作物別、農薬別だから、個々について基準が守られていたとしてもひとつの作物にはいろいろな農薬が使われており、それらを合計すれば相当な量になりますがこの点については考慮されていません。

 

④環境への影響

 

 病害虫に対してまかれた農薬は土にしみこみ、あるいは大気中に散らばり、また水に溶け込んだりしてさまざまな場所で影響を与えます。また、ある害虫を駆除したためにそれを天敵としていた別の虫が大発生したというような話も聞きます。

 

⑤農薬を使う変わりにどんなことができるか

 

 単に農薬を減らすだけだと、収穫量は減り、大発生する病害虫によってみかんの樹勢は衰え農家は成り立たなくなってしまう危険性があります。仲田さんのミカン園では、自然界の仕組みをうまく利用して病害虫を防除する試みがなされました。そのひとつが、みかんの大害虫ヤノネカイガラムシの天敵、ヤノネツヤコバチ、ヤノネキイロコバチを導入することです(図3)。

 

仲田さんの省農薬園では、1985年まではマシン油を散布してヤノネを防除してきましたが、1985年11月からこれを中止しました。この時ヤノネの密度は急激に上昇して10~20倍となり、みかんの葉や枝は茶色くなり、枯れ始めたものもあったそうです。1987年に前述の2種の寄生蜂を園に放すと2年後には劇的な効果を生み、ヤノネのついている株数にあまり変化はなかったけれど一株あたりの密度はぐっと下がりました。その後現在までその効果は続き、ヤノネのついている株の数自体も減ってきています。重要なことは、害虫を全滅させることではなく、ある程度の低い密度に抑制することです。少々の病気や虫に植物は負けません。むしろ、作物についたわずかな病斑や傷を神経質に気にする消費者の態度の方が問題なのではないでしょうか。

 

 また、シロクローバーを用いて園内の雑草を抑制する試みもありました。シロクローバーが選ばれたのは背丈が低いのでみかんの木との光競合が起こらず、また種子が手に入りやすいし、多年草なので年ごとにまく必要がないなどの利点があったからです。しかし、いったんは他の雑草を抑制する効果をあげたものの、種をまいて2年後に主にイネ科植物との競合により衰退してしまいました。さらに作業の時にすべることも問題になりました。このシロクローバーの試みは結局長期的にはうまく行きませんでしたが、利のあるしょくぶつを用いて有害な雑草を防除するという取り組みは今後も試してみる価値があると思います。今世間で注目されている植物のひとつにヘアリーベッチがあります。ヘアリーベッチは蔓性で支柱がなければ背丈は50cm程度で、夏には地上部が枯死してしきわら状になり光を遮って他の雑草を抑えます。柿園などでの成功例がいくつか報告されています。

 

 また、雨の多い年に大発生するそうか病については、ミカンの株と株の間を広くとって風通しをよくして防ぐという方法も考えられます。現在の仲田さんの省農薬ミカン園では樹間がかなり狭く、作業上の不都合も考えれば、木を間引くというこの選択はよいのですが、続けて今と同じだけの収量を維持できるかが問題です。

 

このように農薬を使わなくても打つ手立てはいろいろあるのです。もっと新しいアイデアや、それを実行するパワーがあれば、省農薬栽培の可能性は開けていくと思います。

 

⑤最後に

 

 以上一般のミカン園で使われている農薬の種類、毒性、影響や農薬を使わないで病害虫を抑える方法についてみてきました。農薬は使わない方がいい。だけど、農薬を全く使わないで農業を続けていくことは現状では大変困難です。先にも述べたとおり見た目の悪い作物は売れないし、また美しい作物を作ろうとすれば大変な手間がかかってその分値段は跳ね上がり気軽に手に取ることはできなくなってしまいます。また、病害虫のせいで安定した収量を得られるかどうかの保証もありません。けれど生産者と消費者の双方が農薬の功罪を知り、うまく使いこなせば安全でリーズナブルな食べ物が安定して得られると思います。毎日口にする食べ物を、お百姓さんたちはどんな風に作り、どうやって自分のもとまで運ばれてきたか、自分はそれをどう考えて何ができるのか、省農薬ミカンを通して考えてきたことです。