農薬ゼミの歴史

by 美山 透(京都大学理学部地球物理学科D3)

 

 農薬ゼミの歴史はは1978年にさかのぼります。

 メインテーマは「農薬は減らせる」というものでした。

 当時のことに関しては1980年発行の「農薬は減らせる」に触れられています。

 

 農薬ゼミの始まった1978年当時、農薬裁判は一審敗訴に対して、大阪高等裁判所に控訴がなされました。以後、1985年の勝訴(和解)となります。この期間が農薬ゼミの歴史の前半部といえるでしょう。農薬裁判の支援運動が取り組まれました。ゼミの中でも、裁判に関する勉強会が繰り返し行われました。1986年には農薬裁判の和解金で「悟の家」が建てられ、省農薬ミカン園調査の拠点となります。

 

 省農薬ミカン園の調査は農薬ゼミの歴史とともに、1978年からスタートしました。最初の2年間は試行錯誤の状態でしたが、1980年以降に現在のスタイルの病害虫の調査となりました。以後、毎年、夏の秋に定期調査が行われ、その結果が蓄積されています。

 1986年に裁判の和解金で建てられた「悟の家」が建てられ調査の拠点とすることができるようになりました。定期調査以外にも市岡、浅井、松本らは「悟の家」を足場により詳しい学術的な調査を行っています。

 

 定期調査の成果については「農薬は減らせる」1・2・3の発行、「ミカン山から省農薬だより」(石田紀郎著)の出版によって公表されてきました。「ミカン山から省農薬だより」が出版されるころから、定期調査の参加人数も増え、常時、20人をこえるようになりました。

 

 省農薬のミカンは、病害虫を農薬を減らしていかに防ぐかという問題だけでなく、経済的な問題も私たちに突きつけてきます。省農薬ミカン園のミカンの販売は農薬ゼミで行っていますが、それでなければ市場にのらず経営は成り立たないでしょう。農薬ゼミでは、京都中央卸売市場や小売り店の聞き取り調査、団地での選好調査を行って流通に関しても調べてきました。その成果は1984年度に「「省農薬」ミカンの流通する可能性を探る」として発行されています。また、1992年には省農薬にすることが農家の経営にどのようや影響をあたえるかについて調査が行われました。

 

 1994年には、省農薬ミカン園の調査を学術的にまとめた報告書が生命財団の助成によって完成しました。現在、これに経済的な分析を加えて、出版の準備が進められています。

 

 省農薬ミカン園調査が、農薬ゼミの主要な柱ですが、それ以外にもフィールド活動は行われています。その中で最も大きなものは高知ハウス園芸の調査(1984~1986?)、全日農と協力しての無農薬実験田の調査(1989~1992?)です。前者は最も農薬が使われていると思われる農業、後者は日本人の主食という観点から取り組まれました。成果は、前者については報告書として発行、後者については「あぜみち通信」(京都全日農発行)として公表されています。