農薬ゼミの開始時について

by 蝦名 由香(京都大学農学部生物生産学科二回生)

 

 1980年6月6日発行の農薬ゼミの発行物がある。「農薬ゼミ─農薬は減らせる」である。これが農薬ゼミに残る最も古い発行物である。1978年に始まった農薬ゼミ当初のことを詳しく知る重要な手がかりの一つである。
 手書きのこの発行物であるが、内容は、・章で農薬の歴史や種類、危険性について、・章では農薬による現状の諸問題についてのことや、農薬裁判に対する意義が述べられている。・章では1978年に始まった省農薬ミカン園についてのこと、総合防除の考え方、1979年12月8日の福岡正信氏の講演について述べられている。その中で、発行物を出した頃、つまり農薬ゼミが始まった当初の農薬ゼミの活動の根本となっていたものが序論にまとめられている。
 そこで序論を当時の視点のままで次にまとめる。

「序論」
 農業軽視の基本法農政(1961年)のもとで、地力の低下、農耕地の減少、農業後継者の減少、食糧自給率の低下(40%以下)と日本の農業は荒廃の一途をたどっている。しかし。、あまりに細分化され、全体像を見失った農学は、農業の再生に貢献していない。「農業が疎外された農学」から、「農林水産業を根本にした農学」を追究すべきである。
 農薬の接点の一つが農薬である。農家にとって除草、病害虫防除の省力化、生産性向上に貢献する農薬は、一方で、生態系の破壊、環境汚染、食品汚染、エネルギーの浪費の基となる。そして、重要な点は農薬に人が安易に頼るために、健康な作物を農薬に頼らずにいられない弱い作物に変えてしまったことである。
 農薬研究の方向性は、企業であれ、農芸化学の農薬研究所であれ、前提は「農薬は必要だ、そしてさらに優秀な農薬を」ということであり、「農薬を減らす」という観点はない。そこで私たちは「無農薬」という理想に一歩譲歩した命題を立てた。それが「農薬は減らせる」である。
 以上をもとにした農薬ゼミの取り組みは、1省農薬ミカン園の病害虫追跡調査、2農薬裁判、3学内外の研究者を呼んでの講演会などであり、その中で農薬を「農業を中心に据えた構図の中の一部門」としてとらえる。

 当初の農薬ゼミは上記のような根本に基づき、ゼミでは「汚れ無き土に播け」「ヤノネカイガラムシの総合防除モデル」「スミチオンのToxicology」「スミチオンの神経毒性」「有機リン剤の慢性毒性」「植物の病気」「奇形ザルと農薬の関係」「除草剤に関する基礎知識」などのテーマで話し合っている。企画として「合成洗剤は安全か」「松枯病」「片山寛之氏の講演会ー除草剤の消えた村」「農薬の毒性」「福岡正信氏の講演会ー滅びゆく農業と自然」などを行なっている。これらのうちほとんどが、この発行物に載せられている。(詳しくは石田研にある実物で読んでください)
 「省農薬」や「有機栽培」といった言葉がスーパーでも見られるようになったのは、つい最近のことである。15年前の1980年はまだ農薬最盛期の時代であった。このような時代に「農薬を減らす」という目標を掲げた農薬ゼミは、おそらく異端者のような存在であったことだろう。それが今や「農薬を減らす」という考え方は、形は一様ではないが、広まっている。これは大変すばらしいことだと思う。
 しかし、「農薬を減らす」という問題は完全に解決されたわけでわない。形が多様化された分、色々な価値観や、その違いから生じる問題もあるようにおもわれる。また、農薬問題は世間ではあまり表沙汰になってないように思われるが、反面、農薬を相変わらず大量に使用された作物を今なお多くの人が口にしている。この現実、及び農薬が関係する問題(食品汚染、環境問題など)は、約15年前と根本的に変わってないと思う。このような中で「省農薬」というテーマで、農薬ゼミはどうあるべきだろうか?