食の安全性 ~質の問題と量の問題より~

by 大石 和男(京都大学農学部農林経済学科D2?)

 

 通常、「食の安全性」と言いますと、それは農産物の生産現場において用いられている農薬、除草剤、流通の場において用いられているポストハーベスト農薬、それらの加工の場で用いられている食品添加物などが思い浮かびます。これらは食品の生産から流通にまたがってあらゆる場で使用され、なおかつ人間の健康にも少なからず影響を及ぼすと考えられる化学物質の問題である言えます。つまり一般的な意味での「食の安全性」とは、食料を摂取する際の人間の健康に与える悪影響、反目的的な影響、を排除するということに着目しているのであり、一定量の食物の存在を前提とした「食の質の安全性」ということになります。

 

 ところで「食の安全性」には実はもう1種類あります。それは「食の量の安全性」です。「食料安全保障」という名前で呼ばれることもあります。生命を維持し、日常生活を健康的かつ満足に行なわせ得る量の食料を確保すること、それも単に確保するだけではなく安定的に確保すること、が目的とされています。

 十分な量の食料を安定的に確保するということは、なかなか難しいことです。食料の確保とは、ほとんど農産物の確保と同じ事とである考えて差し支えないでしょう。そして同時に農産物の安定生産を意味することでもあります。農産物の安定生産については人類の歴史が始まって以来の至上命題であり、社会的活動、個人的活動を通じて最も人間の英知と力とが注がれ続けてきましたが、それでも今なお達成できておらず、毎年のように気象変動や自然災害に悩まされています。農産物はいくら翌年度の生産計画を立派に立ててみたところで、収穫し終わるまでは収穫量がはっきりしたことがいえないのです。しかし一方で、いかなる状況が発生しようとも人々の食べる食料はいつでも充分に確保されねばなりません。翌年度の生産量が例年よりも少ない状況が発生したとしてもあわてずに対処できるためには、期末在庫がある程度確保されている、つまり余剰食糧が残されている必要があります。そればかりか近年では人々の食事が贅沢になり、高級食料品までもが大量に生産されなくてはならなくなっています。

 近年では食料で食料を生産する、といったことも多く行なわれるようになりました。飼料用穀物が代表的です。日本ではそれほど飼料用穀物の生産は行なわれていませんが、消費量は意外に多く、年間4000万トンほどが消費されています。これはコメの消費量の約4倍にものぼり、大部分は輸入品です。日本でも北海道では多くの量が生産されてます。トウモロコシはスイートコーン(食用)とデントコーン(飼料用)との2種類があるため、きちんと区別するためにトウモロコシと呼ばれることはありません。食用穀物自給率は、コメがほぼ100%を達成していることもあってだいたい60~70%ありますが、飼料用穀物までもふくめた総合穀物自給率では約30%に落ち込みます。飼料用穀物が消費されるのは畜産で、ブタ、ウシ、トリの肉、牛乳、鶏卵などが生産されています。これら畜産によって生産される食料は、食料によって生産された食料であり、食料の中でもやや贅沢な品目になります。畜産物は人々の生活水準の向上と共に消費量が増大します。食料を十分量確保し摂取するだけでなく、満足のいく食生活が送れるようにするためにはこれらの贅沢な畜産物が欠かせないのです。畜産物は単品では高カロリーな物が多いのですが、飼育に投与する飼料用穀物との間でエネルギー比較をすると当然のことながら生産される(人間の口に入る)エネルギーより投与される飼料用穀物のエネルギーの方が大きいことになります。牧草以外の作物栽培が困難な条件下の圃場で飼料栽培することは耕地の有効利用といえますが、実際には他の食用作物が栽培可能であるにも関わらず様々な理由によって飼料用作物が栽培されることもあります。人間が摂取できるエネルギーを最大に生産することを目的とするのであれば、飼料用作物は耕地の無駄使いと言えなくもありません。

 

 このあたりで本題に入りたいと思います。本題は「食の質の安全性」と「食の量の安全性」とが一見あまり関係を持たない、ともすると別々の事柄である、ようにみえながら、実は結構関係がある(のではないか?)ということを述べることにあります。

 ある選択を迫られる場面を考えてみましょう。まずは、質の低い食料(農薬など化学物質の大量使用)と質の高い食料(無農薬、省農薬)との選択、そして量が少ない食料と量の豊富な食料との選択です。ここでは共に後者が選択されるのはごく自然のことでしょう。では次に、質と量と双方をからめた選択ではどうでしょう。質は低いが豊富にある食料と、質は高いが量が少ない食料との選択のことです。これは難しく、単純に回答のだせない問題といえます。なぜならこれには量や質のバランスの問題が大きく関わっているからです。例えば、質の良い悪いがそれほど大きな差がない場合ですとか、量が少ないとはいえ最低限の生活していくことの出来る量が確保できる場合、とかの様々な状況が考えられます。それらの細かい条件によって回答がいろいろと変わることが考えられるのです。

 重要なのは、現在の農業の技術体系では量と質の同時追求が困難な状況にある、ということです。まず農法の違いから状況をみてみましょう。慣行農法を営む現在の農業者の多くは生産量を追求することを第一の目的としています。もちろん品質も追求はしていますが、それらはまず見栄え、味といった方面での品質のことを指しています。化学物質を使用しないという意味での品質は、残念ながら今の市場体系では積極的に評価されることがまずないため、農薬散布者の健康への影響ですとか、農業資材費を下げるといった二次的な目的で、しかも収穫量に影響を及ぼさない程度でしか追求されない場合がほとんどです。一方、厳密に有機農法を実践している農業者の場合では、品質には最大限の注意を払いますが量の生産に対してはそれほど力が注がれないのが普通です。生産量に関しては、自分たちの生活が保障される程度の生産量があれば良い、とする姿勢が濃厚で、生産量拡大によって収益増大をバリバリ目指すというのはありません。この両者の立場は、品質の高い農産物を大量に生産することが現在の農業技術では困難であることを如実に物語っているのです。今述べた慣行農法と有機農法の2つの立場は単純化された2項対立の図式でして、実際にはさまざまな中間形態の農法が存在します。ですが結局のところ、それらは各自の経営方針にあわせ、量と品質について妥協をしつつバランスをとっているのです。

 もう少し掘り下げて、次に技術面や経営面からみてみましょう。農家の技術面での差というものは、最終的に単位面積当たりの収穫量、つまり、単収に表われると考えることにしましょう。この単収についてですが、これは慣行農法、有機農法のどちらが優れているかを断定することは容易ではありません。高い技術をもった有機農法の農業者などが無農薬やさらには無化学肥料で高い生産性をあげている場合もあります。1993年の冷害の年には慣行農法で軒並み収量が大幅に低下しましたが、有機農法では収量低下がかなり抑えられた、もしくはほとんど収量低下がみられなかった、という報告が多数あります。しかし有機農法では高い技術をもった農業者であっても病害虫の被害というものは抑えにくいものです。多めに作物を作付しておき、その年の病害虫の発生状況をみてまともに収穫できた作物を販売する、という戦略をとっている農業者もいます。その際には収穫できなかった畑のすべての作物を放棄してしまうことも珍しくありません。

 単収×栽培面積、つまり収穫量を考えてみましょう。さきほど述べましたように、慣行農法と有機農法との間の技術的な差の計測というものはなかなか困難なのですが、少なくとも技術的な差により単収が数倍にも及ぶような大きな差を生むことはあまりないと考えて良いでしょう。見落としがちですが単収を考える際に忘れてはならない点は投下労働力です。有機農法で高い単収をあげるためには、相当な手間がかけかけられているのが普通です。ですから単位面積当たりで計った単収は高いとしても、栽培面積はあまり増やすことができません。全体としての1軒の農家当たりの生産量の上限はあまり高くなく、どうしても小規模経営になってしまいます。

 したがって通常、有機農法などでは多品目少量生産といった戦略が多くとられます。これにはいくつか理由があります。まず1つは技術的な理由でして、病害虫防除と土壌生産性保持が目的です。無農薬での単一品目大量生産では、病害虫の大量発生を避けることが困難です。有機農法では病害虫の大発生を起こさせないため、1品目が少量で栽培されます。害虫忌避効果のある作物を栽培品目にいれることもあり、それは結果的に多品目化につながります。多品目ですと畑の輪作も行ないやすく、それは病害虫の多発予防と同時に、土壌の劣化防止、特定栄養素の亡失防止、なども行なえます。もう1つ、販売面での理由も挙げられます。有機農産物は通常、一般市場に出荷されることはなく個人販売や有機農産物専門の流通業者を通じて販売することになります。その場合、単独もしくは少数の生産者によって農産物が供給されるため、顧客の需要を満たすために多品目の野菜を供給せざるを得ないのです。

 かれらの点をふまえて慣行農法と有機農法を栽培面積の比較でみてみますと、これらの間ではいとも簡単に数倍の差が開いてしまいます。慣行農法では5haも10haも1軒の農家で栽培可能ですが、これは有機農法ではとても考えられない面積です。したがって結果的に、栽培面積で圧倒的に勝る慣行農法の方が収穫量でも勝ることになります。非常に乱暴な言い方になりますが、量の観点から言うならば、大規模な生産量をほこる慣行農法と小規模な生産しかできない有機農法ということになると思います。

 

 次に日本全体でのマクロレベルでの生産量についてみてみましょう。現在の日本農業はどちらかというと農地がやや余り気味の傾向を示しています。土地は余り気味なのですが農業の担い手の方が不足気味なのです。そうした状況のなかで今の日本の食糧自給率はカロリーベースで50%を下回っているのです。ここでもし、日本の食料の質向上のために国内の農業を有機農法的なものにすべてきりかえると仮定するとどうなるでしょうか?まず大規模・中規模慣行農業は確実に規模を縮小せざるをえなくなるでしょう。兼業農家など、農業経営に対してそれほど手間をかけることの出来ない経営などは手間のかかる有機農法などはとてもできないと思われます。その反面で余った土地に対する農業への新たな参入が大幅に見込めれば良いのですが、残念ながら現在の農業情勢では新規就農者の増加はあまり期待できません。したがって国内全体の食料生産量が低下するであろうことは容易に予想できます。

 質の高い、つまり食べて安全な農産物を、生産したい、食べたい、というのは生産者、消費者共に当然の願いです。しかし国内自給率を下げてしまうと「量の安全性」も「質の安全性」も共に脅かされることになります。外国産の農産物は多くの場合輸出向けに大量生産された物で、生産者側に農産物の生産量拡大には手段を選ばないという利潤追求の意識が発達していたり、残留農薬の基準が日本より甘く設定されていたりなど、多くの危険性がたびたび指摘されています(日本の農業は消費者の立場を考えた良心的な農業経営、例えば収穫直前は農薬を散布しないなどが比較的なされている)。もちろん、外国の農家でも、良心的な経営体や有機農法を行なう農家は多数存在しています。でも、そいういった農家の農産物は主に国内や地域内で消費されるものです。外国に輸出される農産物は主に企業的な大農場で生産されるものなのです。したがって外国産農産物の輸入量を増やすということは質の安全性を高めるということに逆行することなのです。

 

 ここでようやく「食の質の安全性」に「食の量」が関係をもつようになりました。まとめるとこういうことになります。質の高い農産物ばかりを生産しようと国内の農業をすべて有機農法に切り替えるとすれば、国内の大半の慣行農法は成り立たなくなります。仮に農家数は減少しないと仮定したとしても現在の農業労働力の現状では耕地面積の減少は避けられなくなります。国内の農産物の生産量もかなり減少します。そうなれば自給力はさらに低下し、国内需要量を満たすためにますます海外農産物に依存することになります。結果的に国内に大量の(おそらくそれほど安全性の高くない)外国産農産物を輸入してしまい、日本全体で消費する食料の安全性は保たれない、ということです。「質の安全性」を考える際には、日本人が食べる食料全体を対象として考えなくてはならず、そこには「量」が大きく存在しているのです。

 最後にもう1つ考えたいのは、食の量と質の危険発生時の関連についてです。今の日本の現状では、食の量と質の同時の追求が困難であることを述べてきました。同時に追求はしているのですが、双方とも中途半端におわっているのです。中途半端でいられるのは、量と質のどちらもが表面上、それほど深刻には問題となっていないからなのです。量、質、共に先見の明のある人々によって将来の問題性はたびたび指摘されています。ですが、一般大衆にとってはまだそれほどシリアスな問題として受けとめれているとは思えないのです。量に関しては、今日明日に食べる物が無くなるといったことはまず考えられません。質に関しても、アレルギーなどの原因になる食物を注意深く避けさえすれば、とりあえずは日常的な食生活のなかでその日の命が脅かされるといった事態にはなっていないでしょう。しかし、近い将来、そのどちらもが問題となる可能性を有していることは多くの人が感じていることでしょう。そして、どちらか一方が深刻な問題となった場合、それはすなわちもう一方も道連れとなって問題を引き起こすことになるのです。もし、食料の絶対量が不足すれば、直ちに食糧増産ということになり、たとえ収奪的であろうとも短期的に収量の増大する農法が推進されることになります。その際には食の質については顧みられなくなるでしょう。また、逆に食の質の方が大きな問題となった場合のことを考えてみますと、やはり生産性の問題と関係していかにして質の良い安全な食物をすべての人々に十分なだけ供給するか、という問題に突き当たることになります。

 

 最近、レスター・ブラウンの『誰が中国を養うのか』「ワールド・ウオッチ 日本語版 1994年9/10月号」 での中国の将来的な食料輸入大国化に対する警鐘、それに対する反論など、食の量の安全性に関する議論が多くなされるようになってきています。また近年、世界的に気象が不安定であり、今年ではアメリカや中国、北朝鮮などでの大規模な洪水が発生し、トウモロコシやコメなどの穀物相場がかなり不安定になっているようです。農薬ゼミではこれまでもっぱら質の安全性について多くの議論がなされてきました。そして、この文章では「質の安全性」を維持するには「量」も関係することを述べてきました。今後、「食の質の安全性」を確保するという視点のもとで、「食の量の安全性」について述べてゆきたいと思っています。